じぶんのこと

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●誕生

1963年生
神奈川県
川崎市出身
女性

旧姓:近藤

あだ名
コンコン:小学〜
Kindo:中学〜


●学歴

上丸子幼稚園
とどろき保育園

川崎市立
西丸子小学校
菅生小学校
白幡台小学校

玉川聖学院
  中等部
町田市立
南大谷中学校

都立芸術高校
   美術科

東京造形大学
  絵画抽象

 

●現職

会社員
SEプログラマー

 

●賞歴

「ニッサン
絵本と童話の
グランプリ」
  絵本の部
第25回 優秀賞
第26回 佳作
第27回 優秀賞
第28回 佳作
第29回 大賞

絵本

「ゆみちゃんはねぞうのわるいこです」

絵本
「日曜日の小さな大冒険」
絵を担当


●絵本との出会いから

私が幼少の頃は、現在のような絵本の読み聞かせ運動が盛んではありませんでした。
家がお店だったこともあり、母は常に1階の店頭に出て働いていたので、幼い私は、2階の住居で、音を小さくしてつけっぱなしのテレビの前で、積み木をしたり、動く画像を眺めたりして、1日を過ごしていたようです。

そんな訳で、絵本よりも、テレビで放映していた木馬座のケロヨンや、NHK3チャンネルの3匹の子豚のぶーふーうーが大のお気に入りのテレビっ子でした。

そして、小学生になってからも、活字が苦手で、読書習慣が身につかず、気がつけば、本の楽しみを知らない大人になっていました。

こんな私が、ちゃんと絵本と向き合ったのは、娘達を出産し、母親になってからです。

乳幼児健康診断のときに、絵本の読み聞かせを、初めて娘達と体験し、絵本2冊などが入った「ブックスタートパック」を受け取りました。
その2冊から、新米母の娘達への絵本の読み聞かせが始ったのです。

ところが出産5ヵ月後に職場復帰をした私は、育児のほとんどを主人に任せっぱなしにし、仕事の忙しさを理由に、しだいに娘達と向き合うことを避けるような、ダメな母親になっていきました。
仕事はやった分がきちんと評価され、感謝もされるのに、育児はいくら頑張っても見返りがなく、とてもつらい、先の見えないもののように思われたのです。

そんな仕事人間を、まっとうな母親に引き戻す力が、絵本にはありました。
帰りの遅い母の帰宅を待って、お気に入りの絵本を抱いたまま眠っている娘の寝姿。
疲れて途中で寝てしまう母をゆすっては起こし、最後まで読むことを求め続ける真剣なまなざし。
今日は疲れているから絵本は読まないよと宣言する母に、怒りをあらわにして、泣き叫び激しい感情をぶつける娘達。

絵本を寝る前に読むという、母との唯一のつながりを、必死に守ろうとする娘達の強い意志の存在に、私は動揺して驚くとともに、親としての自覚の足りなさを、幾度となく反省をいたしました。

娘に絵本を読んでやること、それがこんなにも親子の絆に深く根付くことになろうとは、始めた時には思いもよりませんでした。
また、絵本の物語を娘達といっしょに旅することで、娘達の成長を知ったり、持って生まれた性質に気づいたりと、子供の内面の深いところを、汲み取ることができました。

次はどんな絵本にしようか。親も絵本選びが楽しみになりました。その変化に富んだ表現を味わい、作家の子供への真剣な姿勢に感動し、気がつけば、娘と同じようにすっかり絵本の世界に魅せられていました。

そして大胆にも絵本作家への道を歩もうと挑戦を開始したのです。

●身の回り

実家は画材店です。父が始めて、今は兄が継いでいます。

小さい頃、お店の2階が住居になっていて、トイレはお店の1階部分にありました。夜にトイレに行く時は、売り絵のモディリアーニの首の長い女の肖像画や首無しトルソーの石膏像等、店内はさながら恐怖の館の有様で、 とても怖い思いをしました。

大学で知り合った主人は、読書家で、たくさんの本を読みます。私の絵本の文章に対しても、とても的確な助言をしてくれる心強いアドバイザーです。

娘達の園時代は、母の想像以上に豊かな絵本に囲まれた環境にありました。名作と誉れ高い絵本を図書館で見つけ、得意げに借りてきた母に、それ知ってる〜。と何度言われていることか・・・



●絵本の記憶

「人魚姫」?
  作:アンデルセン
  絵:不明 洋画風
通っていた保育園に、リアルで洋画風の、色調が暗めな絵本がありました。
お話しはわからず、絵を眺めて物語を想像していましたが、きれいなお姫様がナイフを持って男の人を刺し殺そうとしている場面は、見てはいけないものを見てしまったという恐ろしい記憶として鮮烈に思い出されます。今考えると多分人魚姫の話だろうと思います。

「おやゆびひめ」
  作:アンデルセン
  絵:不明 アニメ画
幼児期に本屋さんで私がおねだりをして購入してもらった絵本。
多分テレビ放送された「アンデルセン物語」の画面を組み合わせて絵本化したもの。
いかにもアニメらしい彩度の高い色調で、当時の私には夢のように美しく思えお気に入りでしたが、母親に、なんてケバケバしい色と一瞥されて、子供心に無念さ?を味わいました。

「ちいさいおうち」
 作・絵: バージニア・リー・バートン
 訳: 石井 桃子
小学校1年の時に、父に連れられてしかたなく行った図書館で、初めて借りた本。
ひらがなが、まだ読めなかったので、読めなくても分かりそうな本を探したら、この本に行き着きました。
当時の市立図書館には、あまり絵本が置かれていなかったので、名作をそうとも知らずに選んでいたのですね。
大人になって読み返すと、お家にちゃんとした顔が無かったので、すごくびっくりしました。記憶では、家がとても悲しそうに泣いたり、最後はとても喜んで笑っている顔があったと記憶していたのです。


「おにたのぼうし」

   作:あまんきみこ
   絵:岩崎ちひろ
小学校2年の時に、本に興味のない私を心配した母が購入し、プレゼントしてくれました。しかし・・。
岩崎ちひろさんの輪郭がにじんだ絵の表現が幽霊のようで、怖くてとうとう、ちゃんと読みませんでした。ごめんなさい。
今なら岩崎ちひろさんの絵の良さが分かるのに・・・。
あまんきみこさんのおはなしも優しく心がうたれるのに・・・・。ああ・・・

●芸術の道

小さい頃から芸術家に憧れていました。
実家の画材店には、かっこいい美大生や、画家と名乗る大人がいっぱい出入りしていました。

奇抜なファッションを着こなし、タバコをふかして画廊スペースで芸術談議をする、ちょっと不良で自由な人達。それが芸術家だと、ずっと思いこんでいました。

実際に美術大学に入学し、自分の作品を制作する側になってみると、そんな表面的な生易しいものではないことは、すぐに分かりました。

私はまじめにコツコツ対象物を見て絵を描いたり、課題を出されて、色々工夫をして、絵を完成させることが好きでした。

そして自己の何かを表現したいという強い思いを抱いて、絵や作品を制作するということが、どうも苦手でした。
強烈な個性を持たず、強い自己表現意欲もなく、これではとうてい芸術の道は進めません。

そんな訳で、次第に芸術の道をはずれ、当時流行の小劇場・舞台演劇の世界にのめり込んでいきました。
一人の自己表現ではなく、複数が共同で作品を作り上げることに、とても惹かれたのです。

やがて大学は演劇部の為にのみ、通うところとなり、脚本・照明・舞台美術・役者・演出等演劇に関わる様々な事を無我夢中でこなしました。

大学を卒業後は仲間と劇団旗揚げに参加をし、劇団活動が生活の中心になりました。

しかし・・・。
いざ社会人劇団を旗揚げし、公演を重ねていくと、今度は、各自の意見や個性の違いが争いの種となり、なす術もなく、3年で私は逃げ出してしまいました。

その後、もう一度自己表現について自分なりに向かい合い、作品を制作して個展を幾度か試みました。
けれども結果は自己満足という収穫を得ることが出来ただけでした。

芸術の道は私には遠い憧れだったのです。

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